SaaS事業の収益管理、ARRをどう捉えればいい?
SaaS企業の事業責任者や経営企画担当者の多くが、「ARRをどう計算すればいいのか」「MRRとはどう違うのか」「投資家への説明でARRをどう使えばいいのか」といった疑問を抱えています。ARR(Annual Recurring Revenue:年間経常収益)は、サブスクリプション型ビジネスの収益予測や投資判断において極めて重要な指標です。
この記事では、ARRの基本概念から計算方法、業界ベンチマーク、改善施策まで実践的に解説します。
この記事のポイント:
- ARRは年間経常収益を表し、SaaSビジネスの長期的な収益予測に不可欠です
- 基本計算式は「MRR × 12」ですが、New・Expansion・Churn・Downgrade MRRの4要素で詳細分析が可能です
- ARRは年間契約が基本のBtoB SaaSに適しており、MRRは月額課金中心のBtoCに適しています
- 投資家はARR成長率やARRマルチプル(企業価値÷ARR)で企業価値を評価します
- ARR改善には、新規顧客獲得・アップセル・チャーン率低減の3つの施策が重要です
1. ARRとは:SaaSビジネスにおける年間経常収益の基本
ARR(Annual Recurring Revenue)は、サブスクリプション型ビジネスにおいて毎年継続的に得られる収益を指します。
(1) ARR(Annual Recurring Revenue)の定義
ARRは、サブスクリプション契約から毎年継続的に得られる収益を年間ベースで表した指標です。一時的な収益(初期費用・追加購入など)は含まず、継続的に繰り返し得られる収益のみをカウントします。
ARRに含まれるもの:
- 年間契約の基本料金
- 月額課金を12ヶ月分に換算した金額
- アップグレードにより増加した継続収益
ARRに含まれないもの:
- 初期導入費用
- 単発のコンサルティング費用
- スポット購入の追加機能料金
ARRは「現時点の契約状況が継続した場合、1年間でいくらの収益が見込めるか」を示す指標です(出典: Sansan ARR解説)。
(2) ARRが重要な理由(収益予測・投資判断)
ARRはSaaSビジネスにおいて、以下の理由で極めて重要な指標です。
ARRが重要な3つの理由:
1. 将来の収益予測が可能 ARRを把握することで、「このまま契約が継続すれば1年後にいくらの収益が見込めるか」を予測できます。これにより、予算策定や採用計画など、長期的な事業計画が立てやすくなります。
2. 投資家による企業価値評価の基準 投資家はARRとその成長率を重視します。「ARRマルチプル(企業価値÷ARR)」は、SaaS企業の評価指標として広く使われています。成長率が高いほど、高いマルチプルで評価される傾向があります。
3. 事業の健全性を測る指標 ARRの成長率やチャーン率(解約率)を組み合わせることで、事業の健全性を把握できます。ARRが順調に成長していても、チャーン率が高ければ長期的な収益は不安定です。
※ARRは単体で見るのではなく、チャーン率やNRR(Net Revenue Retention:売上継続率)などと併せて評価することが推奨されます(出典: Magic Moment ARR解説)。
2. ARRとMRRの違い:使い分けと適用シーン
ARRとMRRは密接に関連していますが、集計単位と適用シーンが異なります。
(1) MRRとARRの基本的な違い(月次 vs 年次)
MRR(Monthly Recurring Revenue): 月間経常収益
- 毎月継続的に得られる収益を月単位で表した指標
- 計算式: 月額料金の合計
- 短期的な変動(新規獲得・解約・アップグレード)を素早く把握できる
ARR(Annual Recurring Revenue): 年間経常収益
- 毎年継続的に得られる収益を年単位で表した指標
- 基本計算式: MRR × 12
- 長期的な収益予測や投資判断に適している
関係式:
ARR = MRR × 12
たとえば、現在のMRRが500万円であれば、ARRは6,000万円(500万円 × 12ヶ月)となります。
(2) ARRが適したビジネスモデル(BtoB SaaS・年間契約)
ARRは以下のようなビジネスモデルに適しています。
ARRが適したビジネス:
- 年間契約が基本のBtoB SaaS: 契約期間が半年〜1年以上のサービス
- 高単価のエンタープライズ向けサービス: 大企業向けで契約金額が大きいサービス
- 投資家向けの説明が必要な企業: 資金調達やIPOを検討している企業
例: Salesforce、Adobe、Microsoft 365など、年間契約が基本の大手SaaS企業はARRを主要指標として公表しています。
(3) MRRが適したビジネスモデル(BtoC・短期契約)
MRRは以下のようなビジネスモデルに適しています。
MRRが適したビジネス:
- 月額課金が基本のBtoCサービス: Netflix、Spotifyなど月単位で契約できるサービス
- 短期間で契約状況が変動するサービス: 解約・新規獲得のサイクルが速いサービス
- 成長初期のスタートアップ: 月次で成長を素早く把握したい段階
※月額契約が基本のBtoCサービスでも、投資家向け説明ではARRに換算して報告するケースが一般的です(出典: カオナビ ARR解説)。
3. ARRの計算方法:基本式と4つのMRR要素
ARRの計算には、シンプルな基本式と、より詳細な4要素分析の2つの方法があります。
(1) 基本計算式:ARR = MRR × 12
最もシンプルなARRの計算式は以下の通りです。
ARR = MRR × 12
計算例:
- 現在のMRR(月間経常収益): 500万円
- ARR = 500万円 × 12 = 6,000万円
この計算式は、「現在の月次収益が1年間継続した場合の年間収益」を示します。
(2) 4つのMRR要素(New・Expansion・Churn・Downgrade)
より詳細にARRの変動を分析するには、MRRを以下の4つの要素に分解します。
4つのMRR要素:
1. New MRR(新規MRR)
- 当月に新規契約した顧客から得られるMRR
- 例: 新規顧客10社が月額10万円で契約 → New MRR = 100万円
2. Expansion MRR(拡張MRR)
- 既存顧客がアップグレードやオプション追加により増加したMRR
- 例: 既存顧客5社が上位プランに変更(各5万円増) → Expansion MRR = 25万円
3. Churn MRR(解約MRR)
- 解約により失われたMRR
- 例: 解約顧客3社(各10万円) → Churn MRR = -30万円
4. Downgrade MRR(ダウングレードMRR)
- 既存顧客がプランダウンやオプション解除により減少したMRR
- 例: 顧客2社が下位プランに変更(各5万円減) → Downgrade MRR = -10万円
月次MRRの変動計算:
当月MRR = 前月MRR + New MRR + Expansion MRR - Churn MRR - Downgrade MRR
ARR計算:
ARR = 当月MRR × 12
この4要素を分析することで、「新規獲得が好調だが解約も多い」「アップセルが成功している」といったARR成長の内訳が明確になります(出典: NTTコム オンライン ARR解説)。
(3) ARR計算時の注意点(初期費用・一時収益の除外)
ARRを計算する際は、以下の点に注意が必要です。
注意点:
- 初期費用は含めない: 導入時の初期設定費用は一時的な収益であり、ARRには含まれません
- スポット購入は除外: 単発のコンサルティングや追加購入はARRに含まれません
- 年間契約の場合: 年間一括払いの契約は12で割ってMRRを算出し、ARRに換算します
例: 年間契約120万円(一括払い)の場合
- MRR = 120万円 ÷ 12 = 10万円
- この顧客のARRへの貢献は120万円
4. ARRの業界ベンチマークと成長率の目安
SaaS業界では、ステージ別に推奨されるARR成長率の目安があります。
(1) SaaS業界の成長率目安(T2D3モデル等)
SaaS企業の成長モデルとして、「T2D3(Triple, Triple, Double, Double, Double)」が知られています。
T2D3モデル:
- 1年目: ARRを3倍に成長
- 2年目: ARRをさらに3倍に成長
- 3年目: ARRを2倍に成長
- 4年目: ARRを2倍に成長
- 5年目: ARRを2倍に成長
例: ARR 1,000万円からスタート
- 1年目: 3,000万円(3倍)
- 2年目: 9,000万円(3倍)
- 3年目: 1億8,000万円(2倍)
- 4年目: 3億6,000万円(2倍)
- 5年目: 7億2,000万円(2倍)
※T2D3は高成長スタートアップの目安であり、すべての企業に適用されるわけではありません。
(2) ステージ別のARR目標値
SaaS企業のステージ別に、一般的なARR目標値と成長率の目安を示します。
シード期(創業〜3年):
- ARR: 数百万円〜3,000万円
- 成長率: 年200-300%(T2D3の3倍成長)
- 重視指標: プロダクトマーケットフィット、初期顧客獲得
アーリー期(3〜5年):
- ARR: 3,000万円〜3億円
- 成長率: 年100-200%(T2D3の2倍成長)
- 重視指標: セールス体制構築、チャーン率改善
グロース期(5年〜):
- ARR: 3億円〜10億円以上
- 成長率: 年30-50%
- 重視指標: 規模拡大、営業効率化、収益性
成熟期(IPO後):
- ARR: 10億円以上
- 成長率: 年20-30%
- 重視指標: 安定成長、利益率向上
※国内SaaS市場は2024年度に58.8%の急成長を遂げており(出典: ITR調査)、今後も高い成長が期待されています。
(3) ARRマルチプルと企業価値評価
投資家はSaaS企業の価値を評価する際、「ARRマルチプル」を用います。
ARRマルチプル:
ARRマルチプル = 企業価値(時価総額) ÷ ARR
一般的なARRマルチプルの目安:
- 高成長SaaS(年成長率50%以上): 10〜20倍
- 中成長SaaS(年成長率30〜50%): 5〜10倍
- 低成長SaaS(年成長率30%未満): 3〜5倍
例: ARR 10億円の企業が年成長率50%の場合
- 企業価値 = 10億円 × 10倍 = 100億円(目安)
※ARRマルチプルは市場環境や競合状況により大きく変動します。直近の金利上昇局面では、マルチプルが低下する傾向があります。
5. ARR改善のための具体的施策
ARRを成長させるには、4つのMRR要素(New・Expansion・Churn・Downgrade)それぞれに対する施策が必要です。
(1) 新規顧客獲得(New MRR向上)
New MRRを増やすための施策です。
主な施策:
- インバウンドマーケティング強化: SEO・コンテンツマーケティングでリード獲得
- アウトバウンド営業: ターゲット企業への直接アプローチ
- パートナー連携: 代理店・紹介プログラムの構築
- 無料トライアル最適化: 試用期間中のオンボーディング改善
KPI例:
- 月次新規契約数
- リード獲得数
- 無料トライアル→有料転換率
(2) アップセル・クロスセル(Expansion MRR向上)
Expansion MRRを増やすための施策です。
主な施策:
- プラン体系の最適化: 上位プランへのアップグレード導線を整備
- 利用状況モニタリング: 利用率が高い顧客にアップセル提案
- オプション機能の提供: 追加機能を段階的に提供
- カスタマーサクセス活動: 定期的なレビュー会でニーズを把握
KPI例:
- 月次アップグレード率
- オプション機能の利用率
- 顧客あたりの平均契約金額(ARPA: Average Revenue Per Account)
(3) チャーン率低減(Churn MRR・Downgrade MRR削減)
Churn MRRとDowngrade MRRを減らすための施策です。
主な施策:
- オンボーディング強化: 初期導入を成功させ、定着率を向上
- 利用状況アラート: 利用頻度が低下した顧客に早期介入
- カスタマーサクセスチーム: 顧客の課題を継続的にサポート
- 解約理由の分析: 解約インタビューで原因を特定し、改善
KPI例:
- 月次チャーン率(顧客数・金額)
- ダウングレード率
- 顧客満足度(NPS: Net Promoter Score)
チャーン率の重要性: チャーン率が1%改善されるだけで、長期的なARRに大きな差が生まれます。たとえば、月次チャーン率が5%から4%に改善された場合、1年後のARRは約15%増加します。
※ARR改善には、New MRR・Expansion MRR・Churn MRR・Downgrade MRRのバランスが重要です。特にチャーン率が高い場合は、新規獲得よりも既存顧客の維持を優先することが推奨されます。
6. まとめ:ARRを活用した事業成長のポイント
ARRは、SaaSビジネスの収益予測と投資判断において極めて重要な指標です。基本計算式「MRR × 12」で算出できますが、New・Expansion・Churn・Downgrade MRRの4要素を分析することで、ARR成長の内訳を正確に把握できます。
次のアクション:
- 自社のARRを「MRR × 12」で算出し、現状を把握する
- 4つのMRR要素(New・Expansion・Churn・Downgrade)を毎月モニタリングする
- ステージ別の目標成長率(T2D3モデルなど)を参考に、ARR目標を設定する
- 新規獲得・アップセル・チャーン率低減の3つの施策をバランスよく実施する
- 投資家向け説明では、ARR成長率とARRマルチプルをセットで報告する
ARRを継続的にモニタリングし、4つのMRR要素を改善することで、持続的な事業成長を実現しましょう。
