SaaS成長戦略とは?理論だけでは成長しない理由
SaaS成長戦略で成功するには、T2D3やPLGといったフレームワークの選定だけでなく、それを実行するためのマーケ・営業組織の連携設計とMA/SFA活用によるオペレーション構築が不可欠です。日本のSaaS市場は2021年の9,269億円から2026年には1兆6,681億円へと拡大が予測されており(CAGR 12.5%)、成長機会は確実に広がっています。また、2029年度には市場規模3.4兆円への拡大も予測されています(CAGR 11.6%)。
しかし、市場が成長しているからといって、すべてのSaaS企業が成長できるわけではありません。成長戦略の理論やフレームワークを学んだだけで満足し、実際の組織設計やツール連携を後回しにしていては、戦略は絵に描いた餅で終わってしまいます。
この記事で分かること
- SaaS成長戦略の代表的なフレームワーク(T2D3、PLG、THE MODEL)の特徴と使い分け
- LTV/CAC比やNRRなど、成長を測定するための主要指標と健全基準
- PMF達成の判断基準と成長フェーズ移行のタイミング
- 戦略を実行に移すためのマーケ・営業組織の連携設計とMA/SFA活用の具体策
この記事では、従業員50〜300名規模のSaaS/IT企業で、シリーズA〜Bの成長段階にある企業を主な対象としています。企業規模や事業フェーズによって最適なアプローチは異なりますので、自社の状況に照らし合わせながら読み進めてください。
SaaS成長戦略の代表的なフレームワーク
SaaS成長戦略を考える際の基礎となるのが、T2D3、PLG、THE MODELという3つの代表的なフレームワークです。日本のSaaS上場企業トップ5のCAGRは25%以上を記録しており、RakusのARRは403億円、Money ForwardのARRは319億円に達しています(2024年時点)。これらの成長企業は、いずれかのフレームワークを自社に適した形で実践しています。
T2D3とは、SaaSの成長モデルを示す指標で、ARR(年間経常収益)を「3倍×2年、2倍×3年」で成長させるパターンを指します。Triple, Triple, Double, Double, Doubleの頭文字を取った名称です。
PLG(Product-Led Growth) とは、製品主導型の成長戦略です。フリーミアムモデルを活用し、ユーザー自身がプロダクトを体験しながら自走的に獲得・拡大していく手法を指します。
THE MODELとは、LTV(顧客生涯価値)最大化のためのSaaS成長フレームワークです。顧客の獲得・定着・拡張の3フェーズで売上を構築していく考え方です。
T2D3モデルの考え方と適用条件
T2D3は理想的な成長パターンを示すものであり、すべてのSaaS企業がこの基準を達成できるわけではありません。特に日本市場では、安定成長(CAGR10〜15%程度)を実現している企業も十分な成果を上げていると評価されるケースが多いです。
T2D3を目指す場合は、以下の条件が整っているかを確認することが重要です。
- 十分な市場規模と成長余地があること
- プロダクトマーケットフィット(PMF)が達成されていること
- 営業・マーケティング組織のスケールが可能であること
- 成長投資に耐えうる資金調達ができていること
T2D3基準に達しなくても、自社の市場環境やフェーズに合った成長目標を設定し、着実に実行していくことが大切です。
PLGとTHE MODELの違いと使い分け
PLGとTHE MODELの最大の違いは、成長のドライバーが「プロダクト」か「営業組織」かという点です。
PLGは、ユーザーがプロダクトを無料で試し、価値を体感してから有料化するモデルです。セルフサーブで導入が完結するため、営業コストを抑えながらスケールできる特徴があります。ただし、プロダクト自体に「触ってみたい」と思わせる魅力と、使い続けることで価値を実感できる設計が必要です。
一方、THE MODELは、マーケティング→インサイドセールス→フィールドセールス→カスタマーサクセスという分業体制で、顧客のライフサイクル全体を管理する手法です。高単価で導入検討に時間がかかるエンタープライズ向けSaaSに適しています。
自社のプロダクト特性、顧客の導入プロセス、価格帯などを考慮して、どちらのアプローチが適しているかを判断してください。両方の要素を組み合わせるハイブリッド型も選択肢の一つです。
SaaS成長指標・メトリクスの基本と健全基準
成長戦略を実行するうえで、正しい指標で進捗を測定することが不可欠です。SaaSビジネスの健全基準として、LTV/CAC比3以上、CAC回収期間12ヶ月以内が業界相場とされています(ただし、これはグローバル基準であり、日本市場では企業規模や業種により異なる場合があります)。また、成長フェーズ移行の目安として、NRR 110〜120%以上、ARR成長率25%超がスケール基準と言われています。
【比較表】SaaS成長戦略モデル比較表(T2D3/PLG/THE MODEL)
| 項目 | T2D3 | PLG | THE MODEL |
|---|---|---|---|
| 成長ドライバー | 高成長投資 | プロダクト | 営業組織 |
| 主な対象市場 | VC出資スタートアップ | SMB〜Mid Market | Mid Market〜Enterprise |
| 顧客獲得方法 | 営業・マーケ投資 | セルフサーブ・無料トライアル | インサイドセールス・フィールドセールス |
| 価格帯傾向 | 中〜高単価 | 低〜中単価 | 中〜高単価 |
| 組織設計 | 急速な人員拡大 | プロダクト中心・少人数運営 | 分業体制(マーケ・IS・FS・CS) |
| 必要リソース | 資金調達・採用力 | プロダクト開発力・UX設計 | 営業組織構築・MA/SFA運用 |
| 成功指標 | ARR成長率 | アクティベーション率・PQL | MQL→SQL転換率・LTV |
| 日本市場適合性 | 難易度高(理想値) | 成長中(SMB中心) | 実績多数(主流) |
※ 各モデルは排他的ではなく、組み合わせて活用することも有効です。
LTV/CAC比とCAC回収期間の見方
LTV/CAC比とは、顧客生涯価値(LTV)を顧客獲得コスト(CAC)で割った指標です。この比率が3以上であれば、獲得した顧客から十分な収益を得られていると判断される目安となります。
LTV/CAC比の解釈には注意が必要です。
- 比率が1未満の場合:顧客獲得コストを回収できていない状態
- 比率が1〜3の場合:収益性はあるが、成長投資の余地が限られる
- 比率が3以上の場合:健全な投資効率。成長投資を加速できる可能性がある
- 比率が5以上の場合:投資不足の可能性もあり、成長機会を逃している場合がある
CAC回収期間は、顧客獲得コストを何ヶ月で回収できるかを示します。12ヶ月以内が健全とされますが、これもグローバル基準であり、日本市場の特性(解約率が低めの傾向など)を考慮する必要があります。
NRRで見る既存顧客からの収益拡大
NRR(Net Revenue Retention) とは、純収益保持率のことで、既存顧客からの収益がどれだけ維持・拡大されているかを示す指標です。110%以上が成長企業の目安とされています。
NRRが100%を超えるということは、解約やダウングレードを上回るアップセル・クロスセルができていることを意味します。成長フェーズへの移行を判断する際には、NRR 110〜120%以上という基準が参考になります。
NRRを高めるためには、カスタマーサクセス活動を通じた顧客の成功支援と、顧客の成長に合わせたプラン提案が重要です。新規顧客獲得だけでなく、既存顧客からの収益拡大にも注力することで、持続的な成長が可能になります。
PMFの確認と成長フェーズの見極め方
PMF(Product-Market Fit) とは、製品市場適合のことで、顧客ニーズとプロダクトが合致し、継続的な成長が見込める状態を指します。成長戦略を本格的に実行する前に、PMFが達成されているかを確認することが重要です。
しかし、SaaS事業でKPI設計が完了している企業は9.6%のみという調査結果があります(550名対象、2026年調査)。LTV/NRR運用成長戦略を重視する企業も13.5%にとどまっており、多くの企業でPMFの確認やKPI設計が不十分な現状があります。
PMF達成を判断する指標
PMFが達成されたかどうかを判断するための目安として、ユーザーチャーンレート(解約率)5%未満が参考になると言われています。ただし、チャーンレートだけでPMFを判断するのは不十分です。
PMF達成を確認する際には、以下の観点も併せて確認することが推奨されます。
- 顧客からの紹介・口コミが発生しているか
- 顧客が継続的にプロダクトを利用しているか(アクティブ率)
- 競合からの乗り換え顧客が増えているか
- 価格に対する抵抗感が低いか
成長フェーズ移行のタイミング判断
PMFが達成されたからといって、すぐにスケール(成長投資の加速)を開始すべきとは限りません。成長フェーズ移行の業界目安として、NRR 110〜120%以上、ARR成長率25%超がスケール基準とされています。
これらの数値を達成する前にスケールを急ぐと、顧客獲得コストが回収できず、資金が枯渇するリスクがあります。逆に、基準を満たしているにもかかわらずスケールを遅らせると、成長機会を逃す可能性があります。
自社のKPI数値を正確に把握し、上記の基準と照らし合わせながら、スケールのタイミングを判断してください。
成長戦略を実行するためのオペレーション設計
成長戦略の成否を分けるのは、フレームワークの選定ではなく、それを実行するためのオペレーション設計です。成長戦略の理論やフレームワークを学んだだけで実行に移さず、組織設計やツール連携を後回しにすると、戦略は絵に描いた餅で終わり成長は停滞する——これがよくある失敗パターンです。
前述の調査でも、SaaS事業でKPI設計が完了している企業は9.6%のみであり、多くの企業が戦略を立てても測定・実行の体制が整っていないことがわかります。
マーケ・営業組織の連携設計
THE MODELを採用する場合、マーケティング部門と営業部門の連携ルールを明確にすることが成功の鍵です。特に重要なのが、MQL(Marketing Qualified Lead)とSQL(Sales Qualified Lead)の定義と引き渡し基準です。
連携設計のポイントは以下の通りです。
- MQLの定義を具体化する(スコアリング基準、行動条件など)
- MQL→SQLの引き渡しタイミングと基準を明文化する
- 引き渡し後のフォロー期限とフィードバックルールを設定する
- 週次・月次で連携状況をレビューする会議体を設ける
マーケティング部門が「リードを渡した」と考えても、営業部門が「使えるリードではない」と感じていては、組織間の溝が深まるばかりです。定義と基準を共有し、継続的に改善していくプロセスが重要です。
MA/SFA連携によるLTV向上施策
MA(マーケティングオートメーション)とSFA(営業支援システム)の連携は、成長戦略を実行するための基盤となります。ただし、ツールを導入しただけでは成果は出ません。
MA/SFA連携で実現すべきことは以下の通りです。
- リードの行動履歴を営業に引き継ぎ、商談の質を高める
- 商談結果をマーケティングにフィードバックし、リード獲得施策を改善する
- 顧客のライフサイクル全体を可視化し、適切なタイミングでアプローチする
- LTV向上につながるアップセル・クロスセルの機会を検知する
特定のツールやサービスを推奨するものではありませんが、連携の設計思想を理解し、自社の業務フローに合った形で実装することが重要です。
【チェックリスト】SaaS成長戦略 実行オペレーション設計チェックリスト
- 自社の成長フェーズ(PMF前/PMF後/スケール)を明確に定義している
- 採用するフレームワーク(T2D3/PLG/THE MODEL/ハイブリッド)を決定している
- MRR/ARRを正確に計測できる体制がある
- CAC(顧客獲得コスト)の計算方法を定義し、定期的に測定している
- LTV(顧客生涯価値)の計算方法を定義し、定期的に測定している
- LTV/CAC比を算出し、3以上を維持しているか確認している
- CAC回収期間を算出し、12ヶ月以内かを確認している
- NRR(純収益保持率)を測定できる体制がある
- チャーンレート(解約率)を月次で測定している
- MQLの定義と基準を明文化している
- SQLの定義と基準を明文化している
- MQL→SQLの引き渡しルールが営業・マーケ間で合意されている
- MA(マーケティングオートメーション)ツールを導入している
- SFA(営業支援システム)を導入している
- MAとSFAが連携し、データが相互に参照できる状態にある
- リードスコアリングのルールを設定している
- 営業からマーケへのフィードバックの仕組みがある
- カスタマーサクセスの活動をシステムで管理している
- アップセル・クロスセルの機会を検知する仕組みがある
- 週次または月次で、成長指標をレビューする会議体がある
- KPIダッシュボードで主要指標をリアルタイムに確認できる
- 成長戦略の実行状況を経営層に定期報告する体制がある
まとめ:成長戦略は実行体制で決まる
SaaS成長戦略において重要なのは、どのフレームワークを選ぶかだけではありません。LTV/CAC比3以上、CAC回収期間12ヶ月以内という健全基準を維持しながら、NRR 110〜120%以上、ARR成長率25%超というスケール基準を目指して実行体制を整えることが、持続的な成長の鍵です。
本記事で解説した内容を振り返ると、以下のポイントが重要です。
- T2D3、PLG、THE MODELの特徴を理解し、自社に合ったフレームワークを選定する
- LTV/CAC比、NRRなどの主要指標を正確に測定できる体制を構築する
- PMF達成を確認してから、成長投資を加速する
- マーケ・営業組織の連携ルールを明確にし、MA/SFA連携で実行基盤を整える
SaaS成長戦略の成否は、T2D3やPLGといったフレームワークの選定だけでなく、それを実行するためのマーケ・営業組織の連携設計とMA/SFA活用によるオペレーション構築によって決まります。本記事のチェックリストを活用して、自社の実行体制を点検し、成長戦略を実行に移してください。
